一般社団法人化学物質過敏症・対策情報センター

推定患者数1000万人。化学物質過敏症と共生できる社会は、誰もが安心して暮らせる社会。

黒い雨

以下、広島原爆“黒い雨”にともなう放射性降下物に関する研究の現状 2010年5月 という報告書の抜粋です。

 

 

はじめに

「広島“黒い雨”放射能研究会」は、放射線による影響解明のため、その基礎となる被ばく線量の推定の作業を 30 年以上にわたって行ってきた。

その中で、直接被ばくによる放射線の影響は致死量にも達するほど大きいがその線量は解明された。それは原爆被ばく線量評価体系 2002(DS02)という計算方式で、かなり正確な被ばく線量が分かるようになった。 

しかしながら、爆心から 2km 以遠や更に遠方の黒い雨の降雨地域の内外、爆発の後に入市した早期入市者、被ばく者の介護に当たった医療関係者などの被ばくについては、これまで継続して研究を続けてきたがその正確な被ばく線量についてはよく分からなかった。

たとえば早期入市者については入市の時間とルートが分かれば物理的線量はある程度まで計算できるが、被ばく者の訴える体調の不調など説明できていない。

この報告はこれまで広島市役所の場での 2 年間の研究の結果をまとめたものである。どの程度の被ばくがあったか、更に降雨がどの範囲に広がっていたかを報告する。これは途中経過であり、今後約 1 年間で更に測定結果や線量推定の精度を上げそのとき最終的な報告を提出する。 

 

広島大学原爆放射線医科学研究所 星正治氏 

 

 

広島“黒い雨”放射能研究会

「広島黒い雨放射能研究会」は、黒い雨にともなう物理学的な被ばく線量の評価を目標として結成された。2008 年 2 月 5 日、広島市役所で「黒い雨放射能研究会」としての最初の検討会を行った。
参加したグループ
1.セミパラチンスクで土壌中のセシウム 137 等各種放射能を測定した山本グループ
2.同様にセミパラチンスクでセシウム 137 から被ばく線量推定を行っている今中グループ
3.今まで広島での黒い雨に関する放射能を測定してきた静間グループ
4.ウラン 236 の測定を行ってきた、米原、サフーグループ
5.気象の専門家の青山グループ
6.黒い雨の降雨地域アンケートの解析を行った大瀧グループ
7.その後写真解析から雲の高度を計算した馬場グループ
8.セミパラチンスクで計算による個人被ばく線量を計算する手法を開発し広島の黒い雨地域での線量計算に応用しているロシアの Shinkarev グループ
9.過去のセシウム 137 などの測定データの統計解析を行っている、Neil Whitehead, Harry Cullings ら
10.黒い雨地帯の古民家の床下の土壌を採取した、星、NHK グループ

これらの研究報告はそれぞれ関連があり、今回の研究を進める上で有効であった。
その後、2008 年 7 月 29 日、2009 年 1 月 20 日、同年 7 月 29 日と合計 4 回の検討会を開催した。

その間、30km 圏の広島の古民家の床下の土壌採取に成功し、以下に述べるが、これにより線量評価が可能なことが分かり、それまでの成果を 2010 年 2 月 1 日に広島市役所にて発表した。

 

 

黒い雨の被ばく線量に関する研究の歴史と経緯および目標と意義
広島大学原爆放射線医科学研究所 星正治


1) 黒い雨の降雨地帯の研究の目標と意義 

人の被ばくを考える上で、正しい被ばく線量を推定する意義は 2 通りあると考える。

① 被爆者個人々々の被ばく線量を推定し、被爆者自身の健康維持のための指標とすること。これは緊急被ばくの際に被ばく線量を推定することはその被ばく者の今後の健康管理に役に立てられる。

② もう一つは、放射線影響研究所のように、被ばく者のコホートを設定し、継続的に疫学的調査を進め発がんと線量の比からリスクを求めることである。原爆被ばく者のリスクは放射線の防護に採用され、放射線を扱う労働者や私たちの被ばくの限度を定める。このように放射線による健康影響が分かることである。

 

30km 圏では広島原爆から降下したセシウム 137 などの確かな証拠は見つかっておらず、それにはまず、広島原爆からの放射能の検出が必要である。従って、

1 広島原爆からの放射能(セシウム 137 等)の検出
2 それによる被ばく線量の推定

以上が今回の研究の目標である。

 

2)広島・長崎の原子爆弾から発生する放射線の種類の分類  

① 直爆の放射線

原子爆弾が炸裂した際数分程度で発生したガンマ線や中性子線を「直爆の放射線」と表記する。

1. ウランやプルトニウムが核分裂を起こして分裂する際に発生したガンマ線や中性子2. その際、短時間の内に核分裂を起こした破片(核分裂生成物)から発生したガンマ線
3. 中性子が空気などと反応して発生した二次ガンマ線など

 

② 残留放射線

地表の残留放射線。中性子は爆心から 2km くらいの範囲で土壌を放射化する。誘導放射能という。その土壌から発生する放射線を、誘導放射能からの「残留放射線」と表記する。


③ 核分裂放射能を含む放射性降下物

核分裂の際にウランは 2 つに分裂する。それを核分裂生成物といい、強い放射能を含んでいた。よく知られている核種はストロンチウム 90、セシウム 137、ヨード 131 などである。

また、核分裂を引き起こさず残った、ウラン 235(広島原爆)やプルトニウム(長崎原爆)も、核分裂生成物とともに挙動した。

これらは、広島や長崎の原爆では爆発高度が高いので火球は地表に接することなく上昇気流によって上昇した。その後、埃や雨(黒い雨)となって降下した。この放射能は核爆発で生じたキノコ雲の傘の部分に主に入っていたと考えられる。

これらは上昇気流に乗って高々度(16km)まで達し、風に乗って北北西方向に流れ雨を降らせた。(高度については従来 8km とされたが、今回馬場らの写真解析から 16km と推定される。)「核分裂放射能を含む放射性降下物」と表記する。

最も多くの放射能を含みほとんどの被ばくを生じたと考えられる


④ 衝撃塵を含む放射性降下物

②で述べたように、中性子は地表の土壌を放射化した。原爆で生じた衝撃波が地表に当たると塵となって巻き上げる。キノコ雲の中では、キノコの柄の部分である。ここには放射化された成分(マンガン 56 やナトリウム 24 など)が含まれていた。

この部分も上昇し気流に乗って、埃や雨となって降下した。「衝撃塵を含む放射性降下物」と表記する。


⑤ 火災からの放射性降下物

その後、火災が発生しその炎が上昇気流となって流れ雨となり降下した。火災の中にも誘導放射能が含まれていたと考えられる。これを「火災からの放射性降下物」と表記する。

 

3) 降雨地域の分類
降雨地域については、大きく 3 地域に分類する。本報告書では 30km までの黒い雨地帯を検討する。

 

① 3km 圏

3km くらいまでの近距離。3km 圏と表記する。この範囲は 2km までの直ばくの放射線が注いだ地域と2km 以遠の放射性降下物が主であった地域に分けられる。2km 以内の一部の地域では放射性降下物もあったと考えられる。己斐、高須地区では黒い雨の雨だれの壁があるが、ここは約 3km で直ばくからの放射線は低く放射性降下物からの被ばくが主と考えられる。直後の測定があるのはこの地域だけである。

 

② 30km 圏

3km圏以遠で 30km くらいまでの宇田雨域や増田雨域と言われている降雨地域。30km 圏と表記する。ここに放射能が降っていると考えられるがここでは初期の測定がない。また放射能の証拠も見つかっていない。

本報告書の Evgeniya Granovskaya の報告によると、広島原爆の核分裂で生じた放射能の 0.5-0.6%が30km圏内に降下し、残りはそれより遠距離に到達しその一部は地球全体のグローバルフォールアウトとなったと考えられる。


 ③ 30km 以遠圏

30km 以遠圏以遠。30km 以遠圏と表記する。一部は国内に降下し、その先は大気中を浮遊し世界中に拡散、世界的なグローバルフォールアウトとなった。

 

 

広島原爆直後に行われた放射能調査活動
京都大学原子炉実験所 今中哲二

 

広島原爆直後に放射能調査を行ったのは、理研グループ、京大グループ、阪大グル
ープ、広島文理大グループであった。本稿では、彼らの報告から、空間放射線量と土壌中放射能に関するデータを抜粋しておく。

 

広島文理大グループ

 

マンハッタン計画(MED:Manhattan Engineering District)調査団

 

これまでの黒い雨の測定結果等について
広島大学大学院工学研究科  静間 清

 

初期調査については主として原子爆弾災害調査研究特別委員会の報告書にまとめられている。この委員会は原子爆弾の災害を総合的に調査研究するために、1945 年 9 月に文部省学術会議により設立され、物理化学地学科会をはじめ 9 分科会で構成された。

仁科芳雄/陸軍調査団
1945 年、8 月 8 日に理化学研究所の仁科芳雄氏は陸軍調査団とともに空路、広島に入った。8 月 9日には仁科氏の指導のもとに陸軍関係者により爆心から 5km 以内の 28 カ所から土壌試料が採取された。試料は使用済みの封筒などに入れられて 8 月 10 日に東京に空輸され、その日の内に理研において測定されて、銅線から放射能が検出された。これにより原爆であることが確かめられた。

 

大阪調査団
1945年 8 月 10 日に大阪調査団が入市し、携帯用箔験電器を使用して西練兵場の砂から
放射能を検出した。翌 11 日には市内の数ヶ所から砂を採取し、己斐駅付近で放射能が高いことが確かめられた。

京都大学調査団
1945年8月10 日には京都大学調査団が入市し、市内で砂を採取して 11 日に帰京ののち放射能を検出した。

山崎文男/理研
1945年9 月 3 日、4 日には山崎文男氏(理研)がローリッツェン検電器を自動車に乗せて外部放射線量の現場測定を行った。

 

渡辺武男/東京帝国大学教授
渡辺武男氏(東京帝国大学教授)は地学班長として 1945 年 10 月 11 日に広島に入り、11,12,13 日に広島の調査を行った。14 日には長崎に向かい、15-19 日に長崎の調査を行った。さらに、1946 年5 月 7 日に広島、13 日に長崎を再調査した。渡辺氏の収集した資料は東京大学総合研究試料館(現・東京大学総合研究博物館)で保管されていた。これらの試料は平成 16 年 1 月 24-4 月 12 日に「石の記憶-ヒロシマ・ナガサキ」として初めて特別展示されるとともに、写真集にまとめられている。


小島丈児/広島文理大
小島丈児氏(広島文理大)らは独自に調査を行った。実際の現地調査と試料収集は 10 月 27 日、11 月 4, 5, 9, 13 日、12 月 2, 3 日に当時学生であった秀 敬氏(広島大学名誉教授)が行った。これらの試料は岩石学的調査のあと、広島大学理学部岩石学教室で保管されていた。

 

日米合同調査団
1945 年 10 月 3 日~7 日には、日米合同調査団の調査が行われた。この調査では携帯用
ガイガーミュラー計数菅を用いて広島の 100 ヶ所、その後、長崎で 900 ヶ所について行われた。そして、両市の爆心地と風下にあたる広島市の西方 3.2km の高須地区、長崎市の東方 2.7km の西山地区で高いことが確かめられた。 

 

厚生省
1976年度および 1978年度に、厚生省は広島において爆心地から半径 30km の範囲の 107 地点、長崎で 98 地点について土壌を採取し、フォールアウトに含まれる 137Cs、90Sr の調査を実施した。しかしながら、当時はすでに核実験フォールアウトの影響があり、広島原爆に起因する明らかなデータは得られなかった。また、黒い雨地域と他の地域との違いも認められなかった。

 

宇田道隆
爆発の 20~30 分後から黒い雨が降ったことが知られている。1953 年、宇田道隆氏らは、雨域、降雨開始時刻、降雨継続時間などについて 116 のアンケート調査を行った。宇田氏らは 1 時間ないし、それ以上激しい降雨のあった区域は長径 19km、短径 11km の楕円ないしは長卵型で、少しでも降雨のあった区域は長径 29km、短系 15km の長卵型の区域であった。この降雨地域を図1に示す。

 

増田善信
その後、1987 年 8 月、増田善信氏は、宇田氏の調査データに加えて再度、170 のアンケート調査を実施し、さらに気象データをもとに降雨地域は従来よりも広い説11)を発表した。その降雨地域を図2に示す。

 

 

まとめ
1.広島原爆のフォールアウトの影響を調べるためには核実験フォールアウトの影響を受けていない試料が必用である。
2.広島市内で集められた被爆土壌試料(理学部、理研)からは、降雨地域は宇田雨域よりも増田雨域に合うことが示された。
3.原爆資料館に展示されている「黒い雨壁面」からは 137Cs だけでなく、濃縮 235Uが検出された。 

 

 

長崎の黒い雨
長崎大学環境科学部 高辻俊宏

 

広島の黒い雨が最近注目されているのに比較して、長崎の黒い雨については、あまり広く知られていない。しかし、科学的文献によれば、黒い雨を含むフォールアウトによる外部被ばく線量は、広島より遙かに高かったと見積もられている。

 

結論
・ 雨は、爆発後、爆心地を取り巻く広範囲な地域に降ったらしい。
・ 西山地区および本原の雨は黒く、遠く離れた大村に降った雨は無色であった。その他の雨の色は不明である。
・ 黒い灰や微軽量物は爆心の東側10km以上の地域にまで降った。
・フォールアウトの放射能は主として西山地域で検出された。
・西山地域のフォールアウトによる外部被曝線量は最大約0.4 Gyと見積もられている。これは、広島のフォールアウトに対する見積より遙かに大きな値であるが、当時の住人からは、本当はもっと大きかったのではないかと疑われている。
・ 西山地域での激しい内部被ばくを示す兆候は見つかっていない。しかしながら、内部被ばくの調査は爆発より24年もたった、1969年に始まったものであるから、初期の内部被ばく線量については、明らかでないと考える。

 

 

1976 年および 1978 年の厚生省委託の「広島・長崎の残留放射能調査」と1991 年の「黒い雨に関する専門家会議報告書」の概要
広島大学原爆放射線医科学研究所 星正治


1953 年の日本学術振興会編、原子爆弾災害調査報告集は、原爆被災に関する物理学的、生物学的な調査を行った結果をまとめたものである。この研究は考えられる全ての学術分野を含み総合的に行われていて、今では当時の貴重な資料となっている。

この中に黒い雨に関する物理学的また気象学的な調査結果が発表されている。黒い雨の宇田雨域もここで報告されている。

その後、公的な機関による研究、調査は 1976 年までしばらく行われなかった。

その後の本格的な研究としては、1976 年と1978 年に厚生省の委託で行われた黒い雨の残留放射能の調査と、1991 年の「黒い雨に関する専門家会議」の 2 つの調査報告がある。

1976 年と 1978 年の調査では、はじめて 30km 圏で系統的な土壌調査を行われた。残念ながら、このときまでに大気中核実験が多数行われていたため、グローバルフォールアウトの影響が大きく有意な差は見いだせなかった。

しかしながら、その後、ウラン 234、235、236 などの新しい測定方法が開発され、ここで収集された試料は現在でも貴重である。今後更に新しい測定法が開発される可能性
を考えると今後も保存する必要がある。

1991 年の黒い雨専門家会議報告書では、結論としてはいずれも明確な違いは見いだされなかった。

しかしながらここで注目しておくことは、はじめて、気象シミュレーションを行い、さらに人体への影響が調べられたことである。

気象シミュレーションにより、原爆雲、衝撃雲、火災雲と 3 種に分けメカニズムの理解を助けることが出来たこと、また降雨地域のだいたいのシミュレーションが可能な
ことを示したことで評価される。また最大の積算線量で約 250mGy の値を出していることも注目すべきである。

更に、人体影響について、放射線影響研究所で原爆被ばく者の人体影響として確立され
ている、血液型の MN 型の突然変異と染色体異常を調査したことも今後の調査の可能性などが分かり、有意義な調査であった。

問題点として 1983 年の高田らのウラン 234 の測定が引用されていないことである。はじめて降雨地域に有意な放射能降下があった可能性を示している文献が議論の対象になっていないことは残念である。

なお、気象シミュレーションの初期条件の設定方法等、本調査報告について多くの問題点が指摘されていたことも付け加えておく。

 

 

 

広島原爆投下 1-3 年後に建築された家屋の床下土壌中の 137Cs 測定:広島原爆由来フォールアウトの降下量と分布を評価するための試み
山本政儀、川合健太(金沢大学)、K. Zhumadilov, 遠藤 暁、坂口 綾 星 正治(広島大学)、今中哲二(京都大学)、青山道夫(気象研)

 

広島原爆のフォールアウトに関しては、爆発直後(1945 年 9 月)に爆心地から 3 km 離れた民家の雨トイから採取した砂試料において 95Zr や 140Ba が検出されており、レベルはともかくとして核分裂生成核種が降下したことは事実である。

解決すべき最重要事項は、いかにして大量にある global fallout から close-in fallout の痕跡を見つけ、その量と範囲を出来るだけ正確に評価することにある。

そこで、global fallout の影響を受けず、当時の close-in fallout の降下状況を保存している試料に目が向けられた。幸い、市民の協力が得られ、原爆直後(1-3 年)に建築されて最近解体する建物が幾つか見つかり、その床下の土壌が最適な試料ではないかということで 137Cs 測定を試みる機会を得た。

そして今回、測定した全ての試料で 137Cs が検出され、レベルは、100 Bq/m2  以下の地点(10-80 Bq/m2)と 100 Bq/m2を超える地点(200-500 Bq/m2)が見出された。

検出された 137Cs は、広島原爆の close-in fallout に由来するものと考えられるが、レベルも含めて採取地点の土地利用状況、降雨状況、床下土壌の整地状況なども踏まえてさらに詳細な検討が必要である。

現時点で検討すべき課題が多くあるが、ともかく床下の土壌において 137Cs が検出されたことは非常に意義があり、今後の降下レベルや分布解明、さらに、黒い雨の降下分布と close-in fallout の分布との関係解明に多いに役立つ。

床下の今回見出された土壌中 137Cs は、床下以外の地域の土壌中 137Cs と比べるとどの程度なのだろうか?

広島での現在の未撹乱地域(主に森林)の 137Cs 蓄積量を評価するために、2009 年に図5に示す●地点で 30cm 深さの土壌を採取した。137Cs 測定の結果、1000-2500 Bq/m2 の範囲で見出され、2000 Bq/m2 前後の蓄積があることが分かった。  



広島には約 2000 Bq/m2の 137Cs が蓄積しており、この中に、広島原爆に由来する close-in fallout 137Cs が 10-300 Bq/m2含まれていると推測される。全量の約 1/10〜1/100 に当たる。

原爆投下からすでに 64 年経過しているので床下土壌で見出された 137Cs 量を減衰補正すると当時の降下量は、50-1300 Bq/m2と予想される。

これまで 239,240Pu/137Cs 放射能比から、広島原爆由来 137Cs の識別可能性を検討してきたが、現在の土壌中の両核種からの検討からは困難である。評価した値は 50-1300 Bq/m2 と大きな幅があるが、今回測定した地点(地域)で 1000-1500 Bq/m2 の降下量が予測出来る。

今後、出来ることならば、黒い雨が降ったかどうかに関わらず、多くの地点で原爆直後に建築された家屋の床下土壌の採取を行い、close-in fallout の降下範囲とレベルを把握することが被曝量を推定する上で重要であると考えている。

 

 

広島原爆の黒い雨にともなう沈着放射能からの空間放射線量の見積り
京都大学原子炉実験所 今中哲二

 

1976 年土壌調査
山間部の黒い雨について、これまでもっとも広汎に行われた調査は、1976 年の厚生省委託調査である。黒い雨地域と対照地域合わせて土壌試料107個のセシウム137分析が行われている。

残念ながら、1960 年代の核実験による『グルーバル・ファールアウト』の影響が大きく、黒い雨地域での広島原爆による『ローカルフォールアウト』の痕跡を認めることは出来なかった、と報告されている。

今回このデータを再検討し、セシウム 137 の汚染密度(インベントリー)のヒストグラムを横軸対数でプロットしたものが図5である(N-NW が黒い雨方向サンプルで S-E が対照方向サンプル)。
対数正規分布を適用して、黒い雨方向(58 サンプル)対照方向(49 サンプル)のそれぞれの幾何平均とその差を計算すると

• 黒い雨方向: 幾何平均(GM)=2.31 kBq/m2 幾何標準偏差(GSD)=1.07
• 対照方向: 幾何平均(GM)=2.02 kBq/m2 幾何標準偏差(GSD)=1.11
• 上記の差(対数分布では比)=1.14 この差の GSD=1.13
となる。図5から直感的にも明らかなように、黒い雨方向と対照方向の違いは統計的には有意ではない。

 

初期沈着のまとめ
1976 年土壌調査、1945 年原爆直後空間線量測定データ、床下データを考慮し、いわゆる“黒い雨地域”で、黒い雨にともなって地表に沈着した『セシウム 137 初期沈着量の平均値は 0.5~2 kBq/m2』の範囲であったものと考える。

 

まとめ
手持ちで使えるデータの限りを用いて、広島原爆“黒い雨”にともなう外部被曝量を見積もってみたら、地表1mでの2週間の積算空間放射線量として 10~60mGy という値が得られた。

本計算の中味を説明するのに、『恐竜の尻尾のホネの化石から、生きていたときの体重や顔つきを推定するような作業』という喩えを使っている。

図7や図8の線量率プロットにあるセシウムデータ(尻尾の化石)を眺めて頂ければ、『本計算の大胆さ』を理解頂けるものと思っている。

己斐・高須地区の(無限時間)積算空間線量については、DS86 報告書で Okajima らが 10~30mGyと評価している。本計算の手法で、己斐・高須地区の初期セシウム 137 沈着量を 0.5 kBq/m2(図6)として、50 年間積算線量を求めると 12~18mGy となった。

大胆ながらも、本計算もそんなに間違ってもいないだろうと思っている。