
請願・陳情は、住民の要望を政治や行政に届けるために用意されている、公的仕組みです。
日本国憲法 第16条(請願権)
国民は、平穏に請願する権利を有する。
何人も、その請願について不利益な扱いを受けることはない。
議会は、住民から提出された請願書・陳情書を審査し、その要望を自治体が管轄している制度の運用に反映させるかどうかを判断する役割を担っています。
興味深いのは、同じ内容の請願書/陳情書を提出しても、ある議会では採択されるのに、ある議会では不採択になる場合があることです。
なぜ、そのようなことが起きるのでしょうか?
本記事では、請願書/陳情書を審議する議員や行政職員の使命と立場を明らかにしつつ、請願書/陳情書の扱われ方について考察します。
委員会とは何か ーーー議会との関係性
議会に提出した請願書/陳情書は、内容に応じて、分野ごとに設置された委員会(総務委員会・建設土木委員会・文教厚生委員会など)に付託(ふたく)されます。
委員会は、議会の中に設けられた専門的な審査の場です。委員会に所属する議員らは、請願書/陳情書の内容が妥当かどうかを、制度や法律の観点から検討し、採択するか、不採択とするかを判断します。
学校教育や学校保健、子どもの健康に関わる請願・陳情は、通常、文教厚生委員会(委員会の名称は議会によって異なる)に付託されます。
文教厚生委員会は、教育や福祉、保健といった分野を所管し、学校現場や子どもの健康に関わる「住民の要望」を審査する役割を担っています。
委員会の決定をもって審査終了となる議会もありますが、委員会が「採択」した要望を、本会議で改めて審議する議会もあります。運用方法は、議会によって異なります。
いずれにしても、請願書・陳情書の実質的な審査は、まずは、委員会で行われます。
以下、「学校の健康診断問診票に、化学物質過敏症や香害に関する質問を追加してほしい」と要望する請願書/陳情書を具体例として、これが本来、どのように審査されるべきなのかについて考察します。
考察:文教厚生員会にて審査すべき点
①「公共性」「公益性」
委員会で最初に審査されるべきは、この要望が個人的な困りごとにとどまるものなのか、それとも多くの児童に関わる問題なのかという点です。
つまり、「公共性」「公益性」があるかどうかの切り分けです。
学校の健康診断問診票に、
化学物質過敏症や香害に関する質問を
追加してほしい
このように要望するにいたった理由として、被害の規模が大きいこと、誰もが加害者になりうること、知識のない人には管理できないことなどが挙げられます。
1)被害の規模が大きい
学術団体等による全国調査の中間集計として、小中学生の10.1%が、香料等による体調不良を経験していることが公表されています。
この割合は、学校保健が取り組むべき事案として、無視できない規模のはずです。
2)誰もが加害者になりうる
香料等で体調不良を起こす子どもは、教室内など学校で症状が出やすいことが指摘されています。
本人が香料製品を使っていなくても、同じ教室内に香料製品を使っている児童がいると体調不良になってしまうため、結果として、体調不良の長期化や登校困難につながりやすいのです。
3)知識のない人には管理できない
現段階では、学校関係者や保護者の間で、化学物質過敏症や香料過敏症についての理解が十分に浸透しているとは言いがたい状況です。
香料などによって体調不良を呈している可能性は無視されたまま、家庭でも学校でも大量の香料製品が使用され、子どもには無用かもしれない薬物治療が継続されていきがちです。
このような状況は、特定の家庭や児童に限った問題ではなく、学校という公共空間において繰り返し生じうる構造的な問題であるといえます。
したがって、個々の努力や配慮に委ねるのではなく、制度として把握と対応の枠組みを整える必要があります。
毎年4月に学校で実施される健康診断の際に、化学物質過敏症や香害に関する質問があれば、苦しんでいる児童を可視化することができます。この質問それ自体が、社会に蔓延している知られざる病について知ってもらう入口にもなります。
以上のことから、この要望が「公共性」「公益性」を備えていることは、合理的に導かれる結論であるといえます。
② 法律・管轄・裁量範囲の確認
要望の公共性・公益性が確認できたならば、議員が次に取り組むべきは、それを制度として扱えるかどうか、すなわち、法律・管轄・裁量範囲について整理することです。
この整理が正しくできていれば、要望を制度に即して適切に審査することができます。
その反対に、議員が法律・管轄・裁量範囲について整理する作業を怠っていたり、整理内容が不十分だったりすると、審査を適切に行うことができません。
③ 行政職員への質問 ― 委員会が確認すべきポイント
委員会において、法律・管轄・裁量範囲などの整理ができたならば、次は、行政職員との間で、専門的・実務的な点について確認・すり合わせを行う段階に進みます。
本記事で取り上げている要望においては、例えば、
✅学校の健康診断時の問診票を管轄している機関はどこか
✅他の自治体での先行事例はあるか
✅設問を追加・変更した場合に予想される影響
✅設問を追加するうえでの課題や懸念点
などについて、行政職員との間で質疑応答が行われるはずです。
しかし、仮にですが、議員が、要望に関連する法律・管轄・裁量範囲について調べていなかった場合、行政職員の回答に誤りがあったとしても、それを見抜くことは不可能になります。
そして残念なことに、法律・管轄・裁量範囲について調べてもいない議員が、行政職員の説明のみを根拠として、要望を不採択とするケースは、実際に、多数存在します。
④ 採択・不採択の決定 ― 何を根拠に判断するのか
以上の経過を経て、委員会は、請願書/陳情書を採択するか、不採択とするかを決定します。
採択/不採択を決めるときに重要なのは、議員の気分によって「賛成か反対か」を決めるのではなく、制度に組み込むべき内容かどうかを法や制度にのっとって判断することです。
公共性・公益性があり、制度上も実行可能であり、より良い行政対応につながる内容であれば、「採択」することが自然です。
逆に、不採択とするのであれば、
✔ 公共性が認められない
✔ 制度上、自治体では扱えない内容
✔ 実施することが著しく困難であるなどの合理的理由がある
といった点について、十分な説明がなされる必要があります。
委員会が、公共性・制度適合性・判断権限の所在といった基本的事項を確認しないまま、請願書や陳情書を不採択とするのであれば、委員会は「審査機関」としての存在意義そのものを失うことになります。
国・自治体・学校の役割分担 ― 責任の所在はどこに?
本記事で取り上げている要望は、「学校の健康診断問診票に、化学物質過敏症や香害に関する設問を追加してほしい」というものです。
この要望を適切に検討するためには、国・県・市町村・学校が、それぞれどのような役割と権限を持っているのかを、制度として整理しておく必要があります。
用語解説
学校の設置者
学校の設置者とは、学校を設立し、管理・運営する責任を持つ主体のことです。● 国立大学法人:国立学校
● 県/市町村:県立学校 市町村立学校
● 学校法人:私立学校
の3者が主に該当します。学校教育法に基づき、学校の設置者は、その学校の経費負担や管理運営に最終的な責任を持ちます。
学校保健安全法
学校保健安全法は、学校(幼稚園〜大学)における児童生徒や職員の健康保持・増進(保健管理)と、安全な環境整備(安全管理)を定めた法律です。2009年に旧「学校保健法」が改正され、事故・犯罪防止等の安全分野が強化されました。定期健康診断、感染症による出席停止、安全計画の策定などを規定しています。
健康診断
学校保健行政における健康診断は、客観的な身体測定や検査(身長、体重、視力、聴力など)を通じて児童生徒の健康状態を把握するものです。
問診票
学校保健行政における問診票は、生徒や保護者からの主観的な情報(既往歴、アレルギー、生活習慣など)を収集するものです。
学校保健行政における健康診断と問診票
学校保健行政においては、両者を組み合わせて、健康管理や保健指導、統計調査に活用します。
1.国の役割 ― 学校保健の「枠組み」と「基準」を定める
国の役割は、教育および学校保健に関する基本的な制度や基準を、全国一律の枠組みとして定めることにあります。
学校保健安全法および同施行規則には、学校における健康管理の枠組みや、最低限守るべき基準が示されています。
学校で実施される健康診断においては、国が、身長・体重・視力・内科検診などの検査項目の基準を定めています。学校設置者は、その裁量によって、これらを増減することはできません。
一方で、健康診断に用いられる問診票の設問内容については、法令上、詳細な様式や固定的な文言は規定されていません。
つまり、問診票は、健康診断を適切に実施し、児童生徒の健康状態を把握するための補助的手段として、学校設置者が、法令に反しない限り、合理的範囲内で内容を設計できる性質のものだと位置づけられているのです。
国は「何を最低限守るべきか」を定めていますが、「どのような設問を追加してはならないか」までを、一律に決めているわけではありません。
根拠:学校保健安全法 学校保健安全法施行規則
2.学校設置者の役割 ― 問診票を設計・改善する主体
県/市町村立学校においては、県/市町村が学校の設置者であり、学校保健の管理責任は、学校運営を所管する県/市町村教育委員会に帰属します。
そして県/市町村の教育委員会は、学校保健安全法に基づき、健康診断の実施方法や、事前・事後の健康把握のあり方について判断・決定し、実施に反映させる権限を有しています。
問診票は、健康診断の「実施方法」の一部に位置づけられるため、その内容をどのように設計するかは、実施主体である県/市町村の判断に委ねられています。
したがって、地域の実情や児童生徒の健康課題に応じて、県/市町村が独自に設問を追加・調整することを、現行制度が妨げる規定は存在しません。
以上から、「問診票に、化学物質や香料による体調不良の有無を尋ねる設問を加えてほしい」という要望は、国に判断を仰ぐ必要はなく、各教育委員会が主体的に検討し、是非を判断すべき課題であると位置づけることができます。
3.「化学物質過敏症」に関する設問は法的に問題がない
学校の問診票において、「化学物質や香りによって体調不良を感じたことがあるか」といった設問を設けることは、特定の疾病の医学的診断や確定を目的とするものではなく、児童生徒の自覚症状や生活上の困難を把握するための情報収集にあたります。
このような設問は、
・医師による診断を求めない
・疾病名の有無を問わない
・主観的な体調変化の有無を確認するにとどまる
という点において、医療行為には該当しません。
あくまで学校保健の枠内で行われる、健康状態把握のための情報収集にとどまるものです。
また、学校保健安全法の趣旨である「学校生活上の配慮につなげるための健康把握」にも合致しています。
したがって、「化学物質過敏症」や「香害」に関連する設問を問診票に盛り込むことは、法的に十分許容される対応であり、違法性や制度逸脱を指摘する根拠は見当たりません。
4.沖縄県における実施実績の意義
沖縄県では、県の判断により、県立学校の健康診断問診票において、「化学物質や香りで体調不良になったことがある」という趣旨の設問が追加・運用されている実績があります。
沖縄県教育委員会が県立高校と特別支援学校、県立中学校を対象に実施した調査で、95校中51校の計634人が、化学物質や香りで体調が悪くなったことがあると回答した。
琉球新報 2023年4月10日
これは、当該設問が違法または不適切であるとして否定されることなく、行政実務として実装された前例が存在することを示すものです。
さらに、国から是正や中止を求める指導が行われていない点からも、当該設問は現行法制度の枠内で許容される対応であることが、制度運用上も確認できます。
この実績は、他自治体が同様の対応を検討する際の、有力な行政前例となります。すなわち、「制度上可能であり、かつ実務上も実装可能であること」を同時に示す事例です。
結論 ― この要望を不採択とする理由は見当たりません
以上のとおり、「学校の健康診断問診票に、化学物質過敏症や香害に関する質問を追加してほしい」という要望は、
✅多数の児童に関わる公共性・公益性を備えている
✅現行法制度の枠内で十分に実施可能である
✅法的にも実務的にも何ら問題がない
✅実際に実施している学校設置者が存在する
ため、法的にも、制度設計上も、これを退ける合理的理由は見当たりません。
この要望を、
「前例がない」
「制度上扱えない」
「判断できない」
などという理由で不採択とすることは、日本国の法の趣旨にも、制度設計にも、自治体に与えられた裁量の範囲にも反する判断だといえるでしょう。
