本記事では、香害という社会的バリアを除去しようとするときに、後ろ盾となってくれる法律について解説します。
社会的バリアとは
社会的バリアとは、障害のある人が、その能力を十分に発揮して社会参加することを妨げる、「物理的、制度的、情報的、文化・意識的な障壁」の総称です。
「物理的、制度的、情報的、文化・意識的な障壁」は、
✅社会の仕組み
✅人々の意識
によって生み出されます。
ーーーと言われても、どういうことなのか、なかなかイメージできませんよね?
そこで、具体例を紹介しつつ、「社会的バリアとは何なのか」について、説明させていただきます。
カーブ・カット:「歩道の縁石」抗議運動(アメリカ)

アメリカでは、1970年代頃から障害者運動が盛んになり、車いすの人にとっての「歩道の縁石(curb)」は障壁だと捉えられるようになりました。そして「カーブ・カット(curb cuts)」という、縁石の一部をスロープにしようという運動が起きました。
「縁石の一部をスロープ化して、車いすでもラクに移動できるようにしよう」という求めに対し、当初は、次のような反応があったそうです。
▶美観を損なう/景観を崩すという批判
縁石を斜めに削ったりスロープを設けたりする変更が、「デザイン上好ましくない」「都会景観として不格好になる」といった反対意見が出た。
▶コスト・負担を理由に反対
改修費用や維持管理費、設計の手間などを理由に、自治体や建設事業者が消極的な態度を取ることも多かった。
▶障害者側の主張を軽視する風潮
「ほんの少数の障害者のためにコストをかけるのか」「必要性がよくわからない」という無理解・冷ややかな態度もあった。
こうした反対に対し、障害者団体自らが夜間にアスファルトを運んで縁石を削りスロープに改造する “ゲリラ改修” を行った事例もあるそうです。
キャピトル・クロール:議会の階段を這い上がる(アメリカ)
1990年、アメリカ障害者運動の活動家たちが議会議事堂の階段を、車椅子や松葉杖を捨てて自ら這い上がる「キャピトル・クロール」を行いました。
「キャピトル・クロール」を不快に思う人もいましたが、当時 8歳だったジェニファー・キーラン(Jennifer Keelan)が「もう待てない!」と声を上げながら階段をはいあがる姿が報道されると、障害者の移動や社会参加を妨げる建築上の障壁をなくすべきだ という世論が一気に高まりました。
その結果、1990年7月26日 に、連邦レベルの法律 ADA(Americans with Disabilities Act, 米国障害者法) が成立しました。
「カーブ・カット」や「キャピトル・クロール」のエピソードから見えてくるのは、障害者の移動を阻害しているのは、障害そのものではなく
✅社会の仕組み:障害者の移動を妨げないようにする法律がない
✅人々の意識:障害者の移動に無関心
という見えない壁、「社会的バリア」だったということです。
縁石や階段といった物理的な設計は「健康な成人が使うときに不便を感じない」ことを前提に作られてきました。
しかし、社会を構成しているのは、健康な成人だけではありません。赤ちゃんもいれば高齢者もいます。ケガをしている人、体の不自由な人もいます。つまり、こうした人たちは、道路や建物を作るときに、まるで社会に存在しないかのように扱われてきたのです。
また、「少数のためにコストをかける必要があるのか」といった反発や、「非常識だ」と見なされたキャピトル・クロールへの違和感は、人々の意識そのものが障壁となっていた例です。
このように、社会の仕組み(設計や制度)と人々の意識(慣習や価値観)が、社会参加できなくて困っている人の存在を無視する限り、「特定の場所に入れない」「参加できない」人たちは社会から取り残されていきます。
しかし、人々の意識が「無関心」から「障害者にも移動する権利がある」に変わっていくと、スロープ設置を義務付ける法律が制定されるなど「社会の仕組み」も変わっていくのです。
社会的バリアの除去は、みんなの利益になる
20世紀まで整備されてきた社会インフラや公共空間は、多くの場合「健康な成人男性」を基準に設計されていました。
しかし、現実の社会には赤ちゃんから高齢者まで幅広い年齢層の人が暮らしており、病人や障害者も少なくありません。今は若く健康な人でも、例外なく年を取り、若い頃と同じようには動けなくなります。
そうなったとき、道路や建物にスロープが設置されているほうが、助かるのではないでしょうか。
スロープは、重い荷物を運ぶ人にも、ベビーカーにも、ケガをしている人にも、杖をついている人にも、使いやすい設備です。
つまり、障害のある人に配慮することは「例外的な少数派のための対応」ではなく、誰もが安心して暮らせる社会をつくるための「普遍的な改善」と理解すべきなのです。

これまで、段差や階段の他にも、様々な物理的・制度的な障壁が「社会的バリア」として認識されてきました。
そして今、新たな社会的バリアとして注目されているのが「香害」です。
新たな社会的バリア ― 香害
香害(こうがい)とは、香水や柔軟剤、汗拭きシートなどの日用品やパーソナルケア製品に含まれる合成香料(化学物質)のにおいによって、頭痛、吐き気、めまい、呼吸困難などの健康被害が生じることをいいます。
香害によって、学校に通うことも、働くことも難しくなる人が増えています。バスにも電車にもタクシーにも乗れない、病院にすら近づけない人もいます。
つまり、香害は、健康被害であると同時に、社会参加そのものを不可能にする社会的バリアなのです。
これは「匂いの好みの問題」として放置してよい話ではありません。
2025年8月には、学会による全国調査によって、小中学生の1割が、香りによって体調不良を経験していることが示されました。
香害対策の必要性が、広く認識されはじめています。
事業者に香害対策を求めるときに根拠となる法律
ありがたいことに、日本には、このような社会的バリアを除去し、誰もが安心して社会参加できるようにするための法律が整えられています。
「労働契約法」「労働安全衛生法」「学校保健安全法」そして「障害者差別解消法」です。
「労働契約法」と「労働安全衛生法」は、障害の有無に関わらず、すべての労働者が、職場で安全かつ健康に働けるよう配慮する義務を、事業者に課しています。
「学校保健安全法」は、学校における児童生徒等及び職員の健康の保持増進を図ることを目的として定められています。
「障害者差別解消法」は、障害者手帳を有しているかどうかにかかわらず、社会的バリアによってサービス利用を受けられない人から求められた場合、その社会的バリアを除去する義務を、事業者に課しています。
✅事業者には、利用者のサービス利用を阻害する「社会的バリア」を除去する義務がある
✅この義務は、利用者から求められたときに発生する

◆労働契約法
労働契約法 第5条には、事業者には、労働者の生命や身体の安全に十分配慮する義務があると定められています。
労働契約法(労働者の安全への配慮)
第五条 使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする。
◆労働安全衛生法
労働安全衛生法 第10条にも、事業者には、労働者の健康を守るための措置を講じる義務があると定められています。
労働安全衛生法(総括安全衛生管理者)
第十条 事業者は、政令で定める規模の事業場ごとに、厚生労働省令で定めるところにより、総括安全衛生管理者を選任し、その者に安全管理者、衛生管理者又は第二十五条の二第二項の規定により技術的事項を管理する者の指揮をさせるとともに、次の業務を統括管理させなければならない。
一 労働者の危険又は健康障害を防止するための措置に関すること。
二 労働者の安全又は衛生のための教育の実施に関すること。
つまり、事業者には、職場で香害に苦しんでいる人がいた場合、その人の健康を守るための措置を取り、他の労働者を教育する義務が課せられているのです。
職場で香害に悩んでいる人は、「労働契約法」「労働安全衛生法」 を根拠として、事業者に対して、ご自身の健康を守るための配慮や対応を講じるように求める権利があります。

◆学校保健安全法
学校保健安全法は、学校における児童生徒等及び職員の健康の保持増進を図ることを目的として定められています。
(学校保健に関する学校の設置者の責務)
第四条 学校の設置者は、その設置する学校の児童生徒等及び職員の心身の健康の保持増進を図るため、当該学校の施設及び設備並びに管理運営体制の整備充実その他の必要な措置を講ずるよう努めるものとする。
用語解説:学校の設置者
学校の設置者とは、学校を設立し、管理・運営する責任を持つ主体のことです。具体的には国(国立学校)、地方公共団体(公立学校)、学校法人(私立学校)の3者が主に該当します。公立小中学校なら市町村、国立大学なら国立大学法人などが学校の設置者にあたります。学校教育法に基づき、学校の設置者は、その学校の経費負担や管理運営に責任を持ちます。
つまり、学校の設置者(県や市町村)は、子どもや先生が、安心して元気にすごせるように、学校の建物や環境、運営のしかたをととのえる責任があると、法律によって定められているのです。

◆障害者差別解消法
障害者差別解消法は、障害者手帳を持っている・いないにかかわらず、社会的バリアによって、事業者のサービスを利用できない人を「障害者」としています。
この法律では、利用者には、事業者に対して、社会的バリアの除去を求める権利が保証されています。
そして事業者には、利用者から求められれば、その利用者にとっての社会的バリアを除去する義務が課せられています。
ただし、対応が事業者にとって「過重な負担」となる場合は免除されます。
事業者が、利用者から求められて、その利用者のサービス利用を阻んでいる社会的バリアを取り除くことを「合理的配慮の提供」といいます。
くわしくはこちら
内閣府 合理的配慮の提供が義務化されました

「社会的バリアの除去」に取り組まない事業者が多い理由
「障害者差別解消法」によって、事業者には、利用者や従業員から求められれば、社会的バリアを除去したり、従業員の健康を守る措置を講ずる義務を課せられています。
しかし、社会的バリアを除去する取り組みが進んでいるとは、あまり感じられません。その理由を整理してみました。
▶法律の周知不足・理解不足
法律が存在すること自体を知らない事業者が多い。「障害者に関する法律は、ウチとは無関係」など、他人事だと思っている場合が多い。
▶「障害者=障害者手帳を持っている人」との誤解
本来は、障害者手帳の有無にかかわらず「社会的バリアによってサービス利用を制限されている人」が対象だが、多くの事業者は「障害者手帳を提示されたときだけ考えればいい」と思い込んでいる。その結果、香害のように“見えにくい障害”は軽視されやすい。
▶「過重な負担」規定の誤用・逃げ道化
法律には「過重な負担となる場合は免除される」とあることで、事業者が「これはウチには無理」と簡単に片づけてしまう傾向がある。
本来は、利用者や従業員との建設的対話を通して、できることを話し合っていくように定められているが、最初から「うちは対応できない」と拒否してしまう。
「過重な負担」にあたる例
・建物の全面改修
古い建物をすべてバリアフリー化するよう求められても、莫大な費用や工期がかかるため「過重な負担」と判断されやすい。・小規模事業者に過度なサービスを求める
個人経営の小さな店舗に、買い物の付き添いサービスや配達サービスを導入させるのは現実的でない。
▶経営上の優先順位の低さ
利益や集客、コスト削減が優先され、バリア除去は「後回し」になりがち。
「直接売上につながらない」と思われると、経営判断で切り捨てられてしまう。
▶声をあげる人が少ない
香害に苦しんでいても、そのことを事業者に伝えない限り、事業者には香害対策をする義務が発生しない。
障害者差別解消法を根拠として事業者に香害対策を求めるときに
1) 事業者に課せられている義務について説明する
事業者は「障害者差別解消法」や「障害者雇用促進法」の内容を知らないことが多いです。事業者には、これらの法律によって、「社会的バリアを除去する義務」が課せられていることを、冷静に伝えましょう。
2)「障害者手帳の有無は関係ない」ことを説明する
事業者は、「障害者差別解消法」においては、障害者手帳を持っていない人は対象外だと誤解していることが多いです。しかし、この法律では、香害のような目に見えない社会的バリアに苦しむ人も、障害者として扱われます。障害者手帳をもっていなくても大丈夫です。
3) 要望は具体的に
「過重な負担」を理由に断られないために、「香害を説明するポスターを掲示してほしい」「職員に説明文書を配布してほしい」など、事業者にとっての負担が少ないやり方を提案するのが効果的です。
4)声を上げる仲間を増やす
一人の声は無視されやすくても、複数人から同じ要望が出れば「問題は存在する」と認識されやすくなります。所属している患者会があれば、そちらと連携するのも有効です。
5)記録を残す
要望を伝えたのに対応してもらえなかった場合、日時・内容を記録しておきましょう。これは交渉を続ける際の材料になるだけでなく、万一法的手段に進むときにも役立ちます。
カナダの事例 ― 無香ポリシーの広がり
日本の香害を解決していこうとするとき、カナダの事例は、素晴らしいお手本になります。
職場の無香化に向けて (CCOHS/カナダ労働安全衛生センター)

カナダではまず、労働安全衛生や人権保護の観点から、カナダ労働安全センターが「職場の無香化にむけて」という行動指針を打ち出しました。
これを受けて、大学や教育委員会、病院などの公的機関や事業者が「無香料ポリシー」を採用するようになりました。
「無香料ポリシー」を採用するかどうかは、各事業者の自由です。
「無香料ポリシー」を採用した事業者は、公式サイトに「無香料ポリシー」を取り入れたこと、香料の危険性に関する説明、「香害に苦しんでいる人を守るために香料製品の使用自粛に協力ください」というお願いなどを掲載します。
続いて、職員、従業員、学生、保護者、来訪者らに向けて、無香料ポリシーに関する手紙を定期的に配布します。
例:ダルハウジー大学(ノバスコシア州)
学生案内やキャンパス掲示で「香料を含む製品の使用はご遠慮ください」と明記し、すべての学生・職員・来訪者に協力を求めている。
くわしくはこちら
例:グレーター・ヴィクトリア学区’(ブリティッシュ・コロンビア州)
建物全体を「無香環境」と定義し、入館者に香料使用を控えるよう呼びかけている。くわしくはこちら
例:無香料ポリシーを採用している病院の一覧表
くわしくは こちら
カナダで無香料ポリシーを採用する事業者が増えている背景には、「香料過敏性」の人の雇用をめぐる人権訴訟を避けたいという意向があるようです。
実際に、カナダ郵便の従業員が「無香環境でなければ働けない」と訴えた事案が人権委員会に持ち込まれ、連邦裁判所が再審査を命じたことがありました。
つまり、カナダでは、雇用や教育の場で「香害に配慮しないこと」は、訴訟リスクや社会的信用の低下につながる可能性が高いのです。
そのため、大学や教育委員会は「無香料ポリシー」を採用し、トラブルを未然に防ごうとしているのです。
カナダの取り組みにならって
カナダの取り組みが示しているのは、質の高い「周知活動」と「協力依頼」を継続することが、香害対策として有効だということ。
日本でも、カナダの取り組みにならうことが、得策なのではないでしょうか。
事業者には、次のような対応を求めると良いでしょう。
✅定期的に(例:半年ごとに)丁寧な説明文書を関係者全員に配布する
「香害とは何か」「香料製品の例」「香料成分の健康リスク」「香料製品自粛のお願い」をわかりやすくまとめた資料を、全利用者・全従業員に繰り返し配布する。
✅香害ポスターを施設内に掲示する
建物の出入口や休憩所など、人目につく場所に香害ポスターを貼り、香料使用を控えてくださいとお願いする。
✅説明会や研修の一部に組み込む
学校なら保護者会や始業式、職場なら年次研修の一部で触れるなど、直接説明する場を設ける。
掲示や通知といった方法なら、事業者にとって過重な負担とはいえません。
こうした定期的かつ丁寧な周知活動は、単なる注意喚起というより、消費者製品に潜む危険性を理解してもらうための消費者教育たりえます。
「労働契約法」「労働安全衛生法」 そして「障害者差別解消法」の趣旨にも完全に合致します。
まとめ
香害に苦しむ人が事業者に要望を伝えるときに、知っておくべきは「労働契約法」「労働安全衛生法」そして「障害者差別解消法」という法律を後ろ盾にできることです。
利用者や労働者が、香害によって健康被害を被っている場合、これらの法律が味方になってくれます。事業者は、利用者や労働者から求められれば、香害をなくすべく対応しなければなりません。
ただし、「障害者差別解消法」では、対応が事業者にとって「過重な負担」となる場合は免除されるため、現実的で実行可能な対策を求めることが重要です。
現実的で実行可能な対策について考えるときに参考になるのが、カナダの「無香ポリシー」です。カナダでは、建物を改修したり、香料製品を禁止するのではなく、
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香害とは何かの説明
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香料製品の例示
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香料製品の健康リスクに関する情報提供
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香料製品使用自粛のお願い
をポスターや文書で繰り返し周知し、協力を呼びかけています。
このような周知活動は、事業者にとって過重な負担にならず、法律の趣旨にも合致しています。
より多くの人が香害を理解し、香料製品を控えるようになれば、職場や学校の空気環境はもちろん、個人宅の空気環境も改善され、子どもから高齢者まで、誰もが安心して過ごせる空間が増えていくことでしょう。
香害対策は決して「一部の人のため」のものではなく、社会全体の利益につながる普遍的な改善なのです。

