一般社団法人化学物質過敏症・対策情報センター

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2022年 化学物質過敏症研究の最前線③ 翻訳


化学物質過敏症(MCS)の歴史と研究動向をまとめた Multiple Chemical Sensitivity 2022 という総説論文の翻訳です。
2022年 化学物質過敏症研究の最前線② の続きです。

 

翻訳文責:
一社)化学物質過敏症・対策情報センター
代表理事 上岡みやえ

 

目次

 

 

7. 化学物質過敏症(MCS)の病因

化学物質過敏症(MCS)の発症原因については議論が続いており、一般的に定義されるまでには至っていませんが、心理的原因説・生物学的原因説の2つに大別されます。

化学物質過敏症(MCS)の症状すべてではないにしても、多くの患者にあてはまる心理的原因説は、次に紹介するように、多数の文献にて主張されています。

化学物質過敏症(MCS)の症状の多くは、さまざまな精神障害に見られる症状と同じです。医学的に化学物質過敏症(MCS)を評価すると、多くの場合、化学物質過敏症(MCS)以外の病に落ち着きます。

最も特徴的なのは、そのような症状が、伝統的な学習理論[ 122 ]に従って、匂い物質などの環境因子に条件付けられる可能性があることです。

 

7.1 化学物質過敏症(MCS)の心理学理論

化学物質過敏症(MCS)の心理的原因説には、複数の根拠があります。

化学物質過敏症(MCS)の症例には、​​認知処理・感情処理の変化を含む、高レベルのうつ病、不安、および精神的苦痛が認められています[ 123、124、125、126、127、128、129、130、131、132、133 ]。


15歳から80歳以上までの21,997人の市民を対象としたカナダの調査では、対照群との比較において、化学物質過敏症(MCS)の方が、大うつ病性障害、精神的苦痛、全身性不安障害のスコアが高いことが判明しています[ 134]。

研究者らは、化学物質過敏症(MCS)は、自らの精神状態を環境刺激由来とするために、環境に対して鋭敏であると仮定しました。同様の結果は、かつて Park と Knudson が行った、カナダの大規模調査にも見いだせます[ 114 ]。

こうした発見と、障害を包括的に説明できる生物学的原因説が確立されていないことから、すべての化学物質過敏症(MCS)が心因性であると結論づける人もいます。

精神症状が化学物質過敏症(MCS)の原因なのか、それとも障害の結果として精神症状が現れるのかについては、議論の余地があります。

Labarge と McCaffrey[ 16 ]は、ほとんどの場合、化学物質過敏症(MCS)と診断される前に、精神疾患(不安、うつ病、気分障害など)の既往歴があることを紹介しています([ 124、135、136、137 ]も参照)。

その反対に、精神症状は、環境過敏症状のひとつであり、環境過敏症状が精神症状に先行していると主張する向きもあります[ 2、18、138、139 ]。

精神症状は、社会的関係、個人的不安、仕事、生活の質など、化学物質過敏症(MCS)患者の生活に、大きな影響を与えます[ 140、141 ]。

以下、化学物質過敏症(MCS)と同じ症状、あるいは症状の多くが重複している精神障害の症例について説明していきます。

これらの症例の後には、認知的要因と古典的条件付けがなされ、化学物質過敏症(MCS)の自覚症状と実際の症状が、どのようにもたらされるかについて説明していきます。

たとえば、古典的条件付け(CC)では、空気中の刺激物や匂いなどが感情的経験に関連づけられ、化学物質過敏症(MCS)の症状が出ると説明されます。

 

 

7.2 パニック障害とPTSD(外傷後ストレス障害)仮説

化学物質過敏症(MCS)の症状の多くは、過呼吸、めまい、動悸(pulsations)、胸痛、吐き気、発汗、その他の自律神経系の反応などです。古典的なパニック障害の症状と似ています。

このような症状を、乳酸ナトリウム静脈内投与による刺激テストによって誘発させた場合[142,143]、対照群との比較において、化学物質過敏症(MCS)患者のほうが、症状の度合いが大きくなることが証明されています[144,145]。

有機溶媒の吸入テストでも、同様の反応が見られることが、Leznoff[146]およびDager ら [147] によって示されています。

Tarlo ら [138]によると、化学物質過敏症(MCS)患者のパニック反応は、中毒メカニズムによって発現した身体症状の可能性があります。

StennとBinkley[148]は、化学物質過敏症(MCS)の症状は、すでに概念化されているパニック障害と、匂いによって誘発されるPTSD症状と重複することが多いと主張しています。ゆえに、匂いを嗅ぐことによって、化学物質過敏症(MCS)の症状が引き起こされるのであると。

臨床上の類似性に鑑みると、パニック障害やPTSDの発症機序が、体細胞障害の分野における化学物質過敏症(MCS)、慢性疲労症候群(CFS)、シックビルディング症候群(SBS)、バーンアウト症候群(BS)、カンジダ症候群(CS)の統合因子である可能性があると主張する研究者らは、他にもいます[25,87 ];

室内空気への不耐性を呈する患者については、機能的体細胞症候群を支持する所見[149]も参照ください。

Park と Knudson [115]は、化学物質過敏症(MCS)、慢性疲労症候群(CFS)、線維筋痛症(FM)の、医学的に説明できない類似性について、興味深い報告をしています。

 

7.3 身体症状症(仮説)

身体症状症の患者は、脱力感、痛み、息切れなどの身体症状に関連する、考えすぎ、感情、行動を特徴としています。

アメリカ精神医学会(APA)によると、身体症状症は、診断された症状に関連している場合と、関連していない場合があります。しかし、患者は自分が病気であり、詐病ではないと信じています。

アメリカ精神医学会(APA)によると、診断基準は「身体症状、あるいは、健康上の懸念に関する考えすぎ、感情、行動」とされ、少なくとも下記の1つが見られます。

(1)症状の度合いとは不釣り合いな継続的思考
(2)健康または症状についての、継続的かつ高レベルの不安
(3)症状または健康上の懸念に費やされる過度の時間とエネルギー
(4)少なくとも1つの症状が常に存在するものの、症状は多様で、出たり消えたりする可能性がある(www.psychiatry.org、2021年10月13日にアクセス)

本論前半で述べたように、痛み、息切れ、過度の発汗、混乱、過呼吸などは、多くの化学物質過敏症(MCS)患者が呈する身体症状です[108]。

このような症状とともに、うつ病、強迫観念、不安などの精神障害を併発することが多いと報告されています[87,92,114,125,131,137,141,142,150,151,152]。

しかし、そのような身体症状の証拠は見つからないとする研究も、少数ながら存在します(例:[153])。

 

 

7.4 心理的信念と期待(仮説)

認知情報・知覚情報の誤りによって、発現するはずではなかった症状が出てしまうことがあります。

健康な被験者によって確立された、匂いが心理的にどのように知覚されるかについての、認知的精緻化プロセスと注意変数の影響は、化学物質過敏症(MCS)にて実証されています。

例えば Zucco、Militello、Doty [ 8 ]は、化学物質過敏症(MCS)の厳格な基準を満たす女性患者を被験者として、器質的症状と心理的症状を区別する方法を編み出しました [ 57]。

この女性患者には、2回のテストが実施されました。

最初に、標準的嗅覚検査を通して、彼女が嗅覚障がい者ではないことが確認されました。

次に、いくつかの匂いを嗅いでもらう時間と、匂いのない時間が設けられました。

いくつかの匂いは有害でしたが、無害であると告知したうえで、嗅いでもらいました。匂いを嗅ぐ前と後で、血圧と心拍数を測定しました。

無害であると告知された有害物質は、有害であると告知された無害な匂いよりも、症状が誘発されにくいことがはっきりと示されました。

匂いのないときに、それは無臭の有害物質だと告知された患者は、有害物質を無害と告知されたときよりも、より多くの強い症状を呈しました。

これらの現象は、化学物質過敏症(MCS)以外の3つのコントロールには存在しませんでした。

患者の症状が、匂いそのものではなく、有害だと信じているものに対する認知的、注意的、感情的な反応によって誘発されたのは明らかです(医原性の暗示力についても参照 [154 ])。

この研究で使用された、化学物質過敏症(MCS)の器質的症状と心理的症状を区別する方法は、化学物質過敏症(MCS)患者を診断するにあたって価値があるかもしれません。

この調査結果は、健康な被験者を対象とする調査結果とも、概ね一致しています[ 6、7、155、156、157、158、159、160 ]。

例えば、Dalton ら[ 157]は、90人の健康な被験者を3グループにわけて、200ppmのフェニルエチルアルコール(PEA:比較的刺激の少ないバラのような匂いのする匂い物質)と、800ppmのアセトンの匂いを嗅がせるという、比較調査を行いました。

正のバイアスグループは、匂い物質が、アロマセラピーで使用される、気分と健康に有益な効果をもたらす可能性のある天然抽出物であると告知されました。

負のバイアスグループは、匂い物質が、健康への影響や認知障害を引き起こしたことがある、工業用溶剤であると告知されました。

そして中立のバイアスグループは、匂い物質は、嗅覚研究で使用される、ごく一般的なものであると告知されました。

アセトンとPEAを感じるしきい値は、調査の前後で同じでした。

負のバイアスグループは、アセトンもPEAも、他のグループより強く感じていました。正のバイアスグループとの比較においては、負のバイアスグループには、皮膚症状など、化学物質へのばく露後にみられる症状が見られました。

研究者によると、自己生成される症状は、個人の精神構造によって活性化される場合があり、客観的尺度はなくとも、危険で有害だとみなされている場所付近に住む人たちに発現する可能性があります。([78]も参照)。

7.5 古典的条件付け(仮説)

化学物質過敏症(MCS)研究において、古典的条件付け(CC)は、最も研究が進んでいる心因性メカニズムの1つです。

2つの中性刺激を組み合わせて繰り返すと、片方の刺激に、別の刺激の特性が引き継がれるというのが、古典的条件付け(CC)です[ 161、162、163、164、165、166]。

古典的条件付け(CC)の先駆者は、「唾液分泌を誘発する食物」と「音」という中性刺激の組み合わせを繰り返してみせた、ロシアの生理学者 Ivan P.Pavlov です。

「唾液分泌を誘発する食物」がなくても、「音」によって唾液分泌が誘発されました。音だけで誘発された唾液分泌は、条件反応(CR)と呼ばれます。

 

化学物質過敏症(MCS)にみられる症状を含む、様々な種類の身体症状の発現と持続において、古典的条件付け(CC)がみられる症例はたくさんあります[ 8、119、167、168 ]。

わずかな匂いのする場所でストレスの多い作業を行った被験者は、最初は意識することのなかった匂い物質に、別の機会に遭遇してしまうと、気分や態度に影響を被る可能性があります[ 165、169 ]。

匂い物質と乗り物酔い(例:回転椅子に誘発される吐き気と嘔吐)を組み合わせると、後で、その匂いを嗅ぐだけで、病気になってしまう可能性があります。

Klosterhalfen らと Bolla-Wilson ら [ 170、171 ]は、殺虫剤や溶剤など臭いのする有害物質に偶然ばく露した後に、頭痛、吐き気、四肢の痛みが起きた事例について説明しています。

その後、こうした症状は、タバコの煙や車の煙など、元の条件付けとは関係のない匂いによって引き起こされてしまう可能性があります([ 15、172 ]も参照)。

化学物質過敏症(MCS)の一般的な治療法として、健康を取り戻すためには、生体異物を発生させる誘因を避けることが重要だとされています。

残念ながら、誘因を避けても条件付けは解除されず、化学物質過敏症(MCS)は症状に苦しみ続けます。

条件付けされた応答は、回避および脱出行動を介した操作者の条件付けによって維持できることはよく知られています([173]などを参照)。

古典的条件付け(CC)モデルに則ると、患者には、誘因を回避する以前に(自己生成された精神的手がかりまたは画像化を通じて)、予期的な不安反応がみられる可能性があります [174,175]。

 

 


2022年 化学物質過敏症研究の最前線④ に続く